ツマの愛


誰よりも美しい妻

誰よりも美しい妻

 バッハの無伴奏。「俺が指を切断するとかどうとかして、ヴァイオリンが弾けなくなったら、あんたどうする?」と惣介はよく―たいては、ひどく酔っぱらったときに―聞く。周囲に他人がいるときならば、「さあ、どうかしら。そのときになってみないとわからないわ」などと園子は答えて、みんなを笑わせ、惣介を嘆かせもするけれど、実際には―惣介だってよくわかっている通り―指の切断など何程でもない。なぜなら、自分はもう、惣介がこういう音を紡ぎだす男だということを知ってしまっているのだから。

 まったく私は、惣介を愛さずにはいられない。

 それは恐ろしいことだけれど、幸いなことでもある、と園子は思う。私にとっても、夫にとっても。私が夫を愛することをやめたら、夫は廃人のようになってしまうだろう。少なくとも、ヴァイオリンは弾き続けられないだろう。それは、それほど夫が私を愛しているからではない。私が夫を愛しているからだ。私が自分を愛し続けることを、惣介は信じているからだ。宗教のように。


井上荒野 『誰よりも美しい妻』 マガジンハウス 2005 p80-81


恋ではなく、愛とはこういうものだ。
そして、このように愛することができる男というのは、やはり弱さといじらしさと純情とプライドを持った情けなくも愛おしい男なのだろう。
恋することではなく、愛することができるようになったら、読んでみるとよい本。
とりあえず140ページまでは。
続きはどうなるのかしら・・・。