専門書翻訳をする前に読むべき本
英語がどれだけうまくても翻訳ができるわけではない。日本語の表現にすぐれていても,それだけではすばらしい翻訳はできない。心理学のどんなにすごい先生でも,専門書の翻訳はできない。
翻訳に必要なのは翻訳のための脳の使い方である。「翻訳筋」とでもいうべき筋肉を鍛えなくてはならない。
学校で習った「英文和訳」は翻訳ではない。英単語をそれに匹敵する日本語に移し変え(辞書にのっている言葉で),文法にあわせて正しく並べたものは翻訳ではない。別宮貞徳先生のことばを借りれば,「原文がその読者に与えたのと同等の効果を,訳文もその読者に与えなければいけない」のである(『裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)』)。
専門書を読んでいて腹ただしく,また残念にも思うのは,「悪訳」がそれらしい通常の訳としてまかりとおっているところである。わたし自身もそれをなんとかしたいと思い,すこしでも読みやすい訳をつくりたいとがんばっていたけれど,別宮先生の本を読んで初めて,自分自身もまだまだ「悪訳」をただしい訳だと思い込んでいたことに気づいた。あまりにも悪訳で書かれた専門書が多すぎるがために,「専門書はこのように訳さなくてはいけないのかな……」とすりこまれていたのだ。おそろしいことである。
たとえば,好きな日本の作家の本を読むように,翻訳ものの専門書を楽しむこともできるはず。翻訳さえよければ。もちろん原著がかたくるしいものであれば,当然かたくるしさは残るけれど,それでもやはり読みやすく,読んでいて心地よい,日本語として違和感のまったくないストレスフリーの翻訳ものの専門書は存在しうるはずである。
そのために,翻訳の指南書を探しては読んでいるが,気づくとこんなにたまってしまった。ちょっとまとめておきたい。やっぱりいちばんいいのは別宮先生の本! 直訳という悪訳からぬけだすときの「だめなんじゃないかな……」という罪悪感をみごとにけちらしてくれる。また,やっぱり越前敏弥先生の本も大切。わたしは翻訳をはじめて最初にこの本に出会って,「ああ,わたしの直訳は誤訳であり,悪訳なんだ!」と学ぶことができた。この本をきっかけに翻訳の専門的な指導を受けようと決意することができた。感謝でいっぱい。
裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)
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ほかにもまだあるだろうし,この中にももしかしたら翻訳の専門家からしたら意見の異なるものもあるのかもしれないけど,まだまだその域には達していない。翻訳道はたしかにあって,しっかり学ばなくては,「翻訳をした」と胸を張っていえない。でも,翻訳道は楽しくて,まさに「知的なパズル」(by 別宮先生)だなあと思う。
専門書翻訳は,いまのところそれだけで食べていけるものではないけれど(そうなったらうれしいけれど),趣味としても楽しく,同時に社会貢献もできるよい仕事だ。心理学の後輩たちが「翻訳ものの専門書ってなにかいてあるかわからん〜,読んでて眠くなる〜」という悲鳴をあげずに,楽しく熱中して読むことができるようにがんばりたい。そしてたくさんのセラピストたち,クライエントたちのよりより明日のヒントになる本を提供できたら,これ以上うれしいことはない。