言葉にできるよろこび、言葉にしなくてもいいというよろこび


これはささやかではなくって、大きな幸せかな。
気心の知れた仲間と飲む。


お互いから学び取って、刺激しあって、触発されて、連想が浮かんで、そういうのをもう思いつくままに話しあえるというヨロコビ。


言っても非難されないというか、非難されちゃったりするんだけれど、その非難の仕方さえ、心の中で予測できてわかっていて待っていたりもするヨロコビ。


そして、うまく言葉にならないんだけど、それまでのその人をよーくしっているし、どうなっていきたいかもわかっている気がしたりして、その言葉にならなさを、じっくりと受けとめられる、そういう場を共有できるヨロコビ。


離れていても、その場にいなくても、その存在を(BYモレノ?)感じて、話して、ともに飲んでいるかのようなあたたかい気持ちになるヨロコビ。


気心の知れた仲間と飲むとき、そこにはいろんな種類のヨロコビと幸せがある。
これもまた、この同じ道を目指すときに「がんばっていこう」と思う原動力であり、おみやげであり、ご褒美なのかもしれないなあ・・・。


明日からまた、がんばっていこう。
そしてまた来年、がんばったよって話ができたらいいな。