精神性と人間性



今日も雨の京都です。
今日も電車には心理士らしき人々がいっぱーいつまっていました。
しかも今日はほりえもんにそっくりな心理士をみつけてしまいました!
服装も髪型も体型も顔も・・・ほりえもん気味な心理士ってどうなのかな?ちょっとカウンセリング受けてみたいデスネ☆


昨日は後輩A、今日は後輩Bと「精神性と人間性」について語りました。
ちょっとまとまったので書いてみます。


心理臨床において、向上する努力をし続けなくてはならないのは、精神性であって人間性ではないというのが私の意見でした。そもそも人間性は、向上させようとして向上するものではないですね。そなわっているもの、あるいは生き方の結果としてそなわっていくものではないかと思います。精神性というのは、ひらたく言うと「プロ意識」です。心理臨床家としての倫理を積極的に守り、職務を全うするための精神状態を維持し、向上させるように日々努力する、それが心理臨床に必要な精神性なのです。


「じゃあ、人間性はいらないの?それっておかしいよー」というのが後輩Aの意見でした。そうであるような、いいたいのはそうじゃないような・・・すっきりしない思いを2人でかかえていたのですが、今日後輩Bが、そんな不全感の消化を手伝ってくれました。


「この仕事に就こうと思った時点で、誰かを援助する仕事でやっていきたいという人間性の持ち主だから、それでいいんじゃないですか?」


そうデスネ!
カウンセラーはとりたててすばらしい人間性の持ち主ではありません。むしろ普通の人です。クライエントと同じように、悩むし行き詰るし、イライラするし、むかむかするし、家族とけんかするし、恋愛がうまくいかなかったりするし、自己愛のために動いちゃったりするし、そんなつまらないくらい普通の人間性の持ち主です。それでいいのだと思います。もちろん職業人として卓越して、おじいちゃんおばあちゃんになったら、すごーく高潔で円熟した人間性をもてそうですが、それは他の職業でも子育ても主婦でも一緒ですね。


だから、すばらしい人間性はなくてもいいから、専門家としてプロとして職人として、他のどんな職業とも同じように、その仕事にあった精神性を磨き上げていけばいいのだと思います。心理臨床の仕事を選んだ時点で、必要な人間性のハードルはクリアしている・・・そう信じていきたいです。自分も他の心理臨床家も皆そうであると願っていたいです。