話す



今日は私のカウンセラー役をいつもしてくれる、敬愛する友人にたっぷり話を聞いてもらいました。ありがとう。


自分の話を心から「わかりたい」と願って聞いてくれる。
そして自分でもうまく判らないでいる部分をも、一緒に探り出してくれる。
ひとりでは痛くて寂しくて、もぐりこみにくい自分の心の暗い部分も同行してくれる。
これを言ったら嫌われるんじゃないか、笑われるんじゃないかという心配が0の状態で話せる。


そういう存在のもつ力というのは、すごいなあとしみじみ思います。


私は誰かに対してそういう存在になれているのだろうか?
仕事の上で、ひといちばいデリケートで傷ついてきた人々に対して、そういう存在でいられるんだろうか?


カウンセラーとしても、一個人としても、どこかで誰かに守られているということが、仕事をする上でも、「じぶん」として生きていくうえでも、かけがえのないことなんですね。


誰かにとってのそういう存在になること。それは一時的なものであり、その人の人生において、本人あるいは本人の大切な他者の代替作用ではあるのですが、そんな役割を担う仕事というのはいいもんだなあ・・・と改めて強く思いました。


自分が支えられていることがわかって、はじめて、人は誰かを支えられるんですね。教科書にはよく書いてありますが・・・よく忘れちゃってイマスネ・・・。
カウンセラーの不養生でしょうか?怠慢かな?
反省と感謝の一日でした。