研究の責任と意図せぬ結果に対する驚き

なつのうみ



禍福はあざなえる縄のごとし


今私がやっている研究は、なんというか時代の要請にもとづくところもあって、そのために意図せぬ注目を集めてしまうというおまけがついてきたようである。


注目を集めるというのは、研究の目的としてはよいことなのだけれど、物事には常に作用と副作用がある。もしも今の段階で必要以上の注目を受けるならば、そこには考慮すべきことがいくつかある。


1.守秘義務として、「得られた結果は個人が特定されることなく、データとしてのみ扱う」「研究の目的においてのみ使われる」という被験者との約束は守られるか。例えば、メディアと連携した場合、研究論文で意図された以上の不特定多数に結果をさらしてしまうことになる。これによって不快を感じる被験者はいないかどうか、厳密な見直しが必要になる。


2.研究の精度は十分かどうか。学会発表と論文として精読され査読を経て一流誌に掲載されたものではない段階で、広く発表することになると、研究の精度が高められるまえに、「確定済みの」データとして用いられてしまう危険性がある。


3.今後の研究の方向性が、それによって影響を受けないか。客観性が保たれるのか、被験者にバイアスが生じるのではないか。例えば、研究手法や内容が広く知れ渡ることによって、検査者にも被験者にも一定の回答傾向を方向付ける可能性があるだろう。それによって今後の研究の純粋な客観性は損なわれる危険性がある。


それでもやはり、メリットもある。
もともとの研究の出発点である、研究者のメッセージを強め、広い社会に対する啓蒙が可能になり、その研究の方向が正しいものであれば、より多くの人を援助することができるかもしれない。


「研究だけのための研究」を行うのが目的ではないのだから、広く知れ渡ることはよいことなのだけれど・・・よいことだけでもない・・・


・・・・


ん〜でもね、やっぱりすべての物事は一長一短があって、難しいなあと改めて思いました。
うん、でもなにかのがんばりに対してリアクションがあるというのは、やはり素敵なことです。


なんだか抽象的ですけれど、一研究者として、がんばります☆