「言葉なく宇宙からの一陣の風のように」河合隼雄先生の自叙伝的小説『泣き虫ハァちゃん』


泣き虫ハァちゃん

泣き虫ハァちゃん


来てくれる
   河合隼雄さんに
                谷川俊太郎

私が本当に疲れて
生きていることに疲れきって
空からも木からも人からも
眼を逸らすとき
あなたが来てくれる
いつもと同じ何食わぬ顔で
駄洒落をポケットに隠して


あなたの新しい物語は
もう始まっているのだろうか
あなたの老獪な魂は
ふさわしい木の洞を見つけたのだろうか
心の中でそう問いかけても
あなたは答えない いつものように
あなたは黙って待っている


気づかないうちに
私は自分で答え始める
あなたの新しい物語の中で
あなたとともに生きようとして
あなたの魂の吹く笛の音に誘われて
ふたたび私は取り戻す
空に憧れ木と親しみ人を信ずることを


私がもう言葉を使い果たしたとき
人間の饒舌と宇宙の沈黙のはざまで
ひとり途方に暮れるとき
あなたが来てくれる
言葉なく宇宙からの一陣の風のように


私たちの記憶の未来へと
あなたは来てくれる

2007.11.3 戸隠
『泣き虫ハァちゃん』巻末より


この小説を読みおわると、最後のあたりにこの詩があります。
なんだか大切な人を亡くしてしまった悲しみが
たっぷりとこめられていて
この詩を読むと、涙がでてきてしまいます。
河合先生の笑顔はやっぱり、ほんとうにあたたかかったなあ。
こんな人になりたいって何回もおもったなあ。
「あなたは来てくれる」って思わせるような大きな笑顔をいつもしておられたなあ。
そんなカウンセラーになれるだろうか。


この小説は、河合先生の小さな頃の思い出がつまったもののようです。
このなかでもすばらしいのは、小学中学年の初めて感じる「大きな孤独感」です。
こんなにも適切に、子どもの初めて感じる根源的な孤独感と不安をとらえた文献は
ないのではないでしょうか。
子どもはこんなふうに、生まれて初めて、自分がたった一人の人間であって、
誰ともぴったり同じにはなれないというという大きな孤独を感じ、
切りはなされたような不安と恐怖を感じています。
けれど、決してうまく言葉にできない。
だからこそ、変にはしゃいだり、急に子どもっぽくなったり、暴力をふるったり、
なにかを壊してみたりするのでしょう。
「さっきはごめん。僕も4年生の頃、変なことあったわ」とおにいちゃんがその気持ちを
受け入れてくれて、お父さんも
「誰でもそれぞれ小さいときはいろんなことあったんやけど、忘れてるだけや」と
受け入れてくださって、そうして成長が起こるのです。


そのことを私たちは忘れてしまう。
大人になると、きれいに忘れてしまう。
河合先生は、しっかりと覚えておられる。それがほんとうにすばらしいなあと感じます。


孤独と不安のあとに来る、自意識と恥。言葉にできない居心地の悪さと
初めてのはっきりとした自己嫌悪。

「言ってみれば、元気にしてはいるのだが、まだほんとうに普通ではないというか、
どこか、ピッタリとはまり切らない感じがある。「僕という人間が、この世に1人いる」
という孤独からは出てきたものの、「僕は僕だ」と逆に威張りたいような気持になって、
周りとちぐはぐになるのだ。

『泣き虫ハァちゃん』p176


そしてまた、このお母さんがよい。
自己欺瞞と虚栄心がごちゃになって、授業参観の日に失敗してしまったハァちゃんが、
慰めてくれるお母さんに、はじめてふてくされて「フンッ」と言うと、
バシッと平手打ちをする。ハアちゃんが顔を上げると優しい眼で、涙をためつつ
「ハァちゃん、失敗は誰でもあるんや。なんぼ失敗しても、すねたらあかん。
わかったやろ。すねたらあかんのやで」と言ってくれる。
そうやって怒られて、ハァちゃんは「もっともっとすっきりとした気持」になる。


この大切な時期にまわりの大人がしっかりと支え、叱り、守ってやらないと
「何とも言えない不安と孤独感のなかで、うっかりするともっと恐ろしい世界へ
落ち込んで」いくことになるのだろう。


このようにきっちりと子どもの心を見つめることのできる心理学者を失ったことは
悲しいことだけれど、私たちがしっかりとあとをついでいかなければなと
あらためて気を引き締めた。