混乱した孤独な春に読むべき小説『ノルウェイの森』

孤独な春



 今でも鮮明に覚えているのだけれど、初めて読んだ村上春樹の小説は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)』だった。ひばりが丘の小さなモルタルのアパートの小さなユニットバスの浴槽のなかで読んだ。私はそのことについて、そのとき国分寺に住んでいた愛する友人に一生分の感謝をこっそりとささげている。彼女がいなかったらたぶん私は村上春樹の本を敬遠したままで一生を終え、その一生は救命ブイのない海のようなものになっていたと思う。


 『ノルウェイの森(上) (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]』『ノルウェイの森(下) (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]』を私はこれまで10回くらい読んでいる。ここしばらくは読んでいなかったのだけれど、この4月にはこの文庫がふとした偶然から私の手元にやってきた。私はこの文庫を5回くらい買っていて、3回くらい大切に思った人にあげているので、手元にはきれいにそろった新しい上下巻は1セット、そしてぼろぼろの上巻が残っている。もしかしたらもっとあるのかもしれない。2年ほど前にその上巻を処分するための箱に入れておいたのだけど、家族の誰かがなぜかこっそり拾いあげていた。その本はふっと何かの拍子に、予期せぬところからあらわれて、私はほんとうに久しぶりにこの本を読もうと思った。


 読み終わって気づいたのだけれど、主人公は混乱した孤独な春を過ごしていた。桜を激しく憎むほどの孤独。そばにいるべき人がいないという空白ほど、人に孤独を与えることはない。それで私はいま『ノルウェイの森』を読んだのだなと気がついた。


 この小説を読むときは決まっていて、誰かを傷つけて無性に混乱したとき、誰かに傷つけられて無性に混乱したとき、「自分に同情」しそうになったとき、こころのなかがごちゃごちゃと崩れそうになったとき、誰か大切な人を失ったとき、ひどく自己嫌悪になったとき、そしてものすごく孤独なときに読む。
 

 読み終わると、こころがあるべき場所に戻る。その理由はまだよくわからないけれど、主人公が自分のこころを正しい位置に戻そうと苦しみながらもしっかりと生き続けているからかもしれない。


 素晴らしい小説があると、この世はほんの少し生きやすい。