自傷行為に対する臨床心理的援助はどうあるべきか:自傷行為をとめてもいいのか? 自傷行為はいけないことだとカウンセラーが価値判断をしてもいいのか?


 個人的な意見としては、「自傷行為をしてはいけない」というのは、「不登校をしてはいけない」「死んではいけない」とクライエントに諭すことと同じことになるではないかと思います。「切りたい」「死にたい」「学校に行きたくない」とクライエントが言ったとき、それを止めるのがカウンセラーの役目ではなく、“それらの言葉によって言い換えられている、苦しくて辛くてどうしようもない気持ち”に対していかに心理的援助を行うかというところがカウンセラーの役目です。もちろん「できれば、切らないですむならば、切らないでほしいけれど」「あなたに死んでほしくないよ」というカウンセラーの気持ちを自己開示することは、心理的援助のひとつではありますが、これもまた両刀の剣であって、これによってクライエントが「カウンセラーを心配させてはいけない」「カウンセラーを苦しませてしまうからこれ以上言ってはいけない」と考え、自傷行為をしたい気持ちを語ることをやめてしまう恐れもあるわけです。このような自己開示は、これまでの関係性や病理やパーソナリティ、今ここでそれを伝えることによるクライエントのメリットとデメリットを入念に、慎重に考えた上で、それでも絶対の解ではなく真剣勝負の賭けとして伝えるべきものです。


 本人たちはもちろん自傷行為なんてしたくないわけです。しなくてすむならしないはずです。でもせざるをえないところにいる。それがクライエントの今の状態です。「問題」ではなく、「状態」です。そこで、もしもマスコミとカウンセラーが「自傷行為をしてはいけない」という姿勢を強くとるならば、“自傷行為をせざるをえない私”は“学校へ行けない私”と同様にものすごく強い罪悪感をもってしまうのでは? そしていつか本当の死へ向かってしまうのでは? と、とても不安になります。


また、不安やうつ気分・うつ症状、思考反すうといった症状からくる「死なずにはいられない、死んだ方が楽になるのではないかという疑念、生きている価値がない、生きているのが申し訳ないという思考」から自分を守るためにやむをえず、仮想的な死として自傷行為を体験している場合もあります。このような場合にカウンセラーやマスコミが自傷行為に対して否定的な価値判断をもって、それがクライエントに伝わってしまうと、クライエントは「やむをえない仮想的な死」の手段を選んだ自分に激しい罪悪感をもち、さらに自己嫌悪し、自己否定します。すると、次に残された選択肢は仮想ではなく現実での死になってしまいます。


 もちろんクライエント自身が、“本人にとって親和的であり、昇華とも言える罪悪感を伴わない行為”を、自傷行為に代替する行為として選択できるようになるよう支援することは大切な心理的援助です。しかし、これはあくまでリラクセーションのような、本人のそのときの状態に応じて苦しみや不安を軽減するためのサブあるいはオプションとしての支援であるべきで、カウンセラーがそちらにばかり目を向けて自傷行為をとめようとしてしまうと、副次的な問題であるはずの自傷行為が治療の焦点となってしまう恐れがあります。また、クライエント本人も自傷行為にばかり注目してしまい、自傷行為が悪化し、自傷行為のある・なし・どうやってやめるかがカウンセリングの中心になって、クライエントの真のニーズや心の作業のゴールとずれてしまう可能性があります。


 大切なことは、クライエント本人がカウンセラーとの信頼関係と絆とコンテイニングのなかで、つらさや苦しみと折り合いをつけながらも、きつい心の作業である、真の問題―「自傷行為をせざるを得ないような苦しみ、焦燥感、自己嫌悪、生きている価値の感じられなさ、自尊感情の低さ」がどこからきていて、クライエントはどうやって生きていきたいのか−を自分自身で悩みきるための援助を行うということではないでしょうか。


 一方で、自傷行為そのものへの依存が生じ、それがクライエント自身の自尊心を損ない、社会適応の機能を障害している場合には、自傷行為が一時的な「現段階での」治療のターゲットになることもあります。この場合は、行動療法や認知行動療法、リラクセーションの取り入れや心理教育、いかに自傷行為から気をそらすかというスキルの獲得の支援を中心的に行うことが、この時点でのクライエントのニーズに合致した支援であるといえるでしょう。しかしこの場合も、自傷行為への依存が軽減されれば、次の段階の目標に向かう必要があるはずです。


 また、これらすべての場合の前提として、医療的な支援はできる限り取り入れるべきだと考えます。とくに学校現場での自傷行為は程度(頻度・傷の深さと部位・自傷行為を行う場所・周囲のシステムの反応・社会適応機能障害の程度・解離の有無・精神症状の有無)に応じて、なるべく病院へつなぐべきだと考えます。個人的な意見としては、2、3個の薄いかすり傷程度のものであっても病院や相談機関につなぎたいところです。そしてできる限り本人の了解をとって保護者にも伝えるべきです。


 なぜなら、第1に、自傷行為をする人の自殺率は、自傷行為のないクライエントよりも一般的に高いからであり、そのリスクに危機介入する必要があるからです。また、自傷行為は隠されやすいものでもあり、その背後には言葉にされない別の種類の自傷行為が潜んでいる場合が多いからです。広い意味では性非行や、飲酒やドラッグその他薬物の乱用、自暴自棄な行動や危険行為、自殺企図も自傷行為の別バージョンとして、自傷行為を起こさざるをえなかった心理状態による行動として、いつでも起こりうるからです。こういったことはクライエントは学校という場ではまず言葉にしません。


 第2に、うつや不安その他の精神症状によって自殺念慮が生じており、その2次障害としての自傷行為である可能性があるからです。その場合は医学的な治療が優先されなくてはなりません。医師による診断、薬物療法、入院などが必要になります。とくにうつ病自殺念慮が症状としてあり、初期エピソードへの医学的介入によって治癒率は高まります。また自殺リスクの高い病気でもありますので、自傷行為をせざるをえない「うつ気分」があるだけでも予防的介入は行うべきです。


 そしてさらに第3に、臨床的経験から、自傷行為のあるクライエントの心理的問題は、親子関係などの長期間にわたる葛藤やトラウマの存在を示すSOSである場合が多く、学校という場と時間的な枠組みの中での心理的援助では限界があり、病院や相談機関などに「これをきっかけとして親子でしっかり通う」という行動が、心のためにも症状のためにも必要であるからです。



(さいごに)
 takashiさんの自傷行為についての報道に関するご意見、ロテさんのブログでの挑戦的な疑念と討論に触発されて、自分なりに考えをまとめるきっかけをいただきました。いつも知的な刺激を与えてくださって感謝! リアルタイムに近い速さで遠くの専門職の人の意見に触れることができるというのはブログの醍醐味ですね。これをもとにさらに考えていってみたいと思います。エビデンスや文献を学び、ケースを深く見直して、論文としてまとめられたらもっとよいですね。

http://d.hatena.ne.jp/psychologist/20080822/p1

●【ふーん】「専門家は『自傷行為をしてはいけない』という姿勢を崩すべきではないし、自傷行為は厳しく否定されなければならない」んだって。初めて知った【へー】-ロテ職人の臨床心理学的Blog


自傷行為治療ガイド

自傷行為治療ガイド

 購入しました。「はじめに」までを読んだところですが、これはよい! まず、15章で治療者が感じる陰性感情反応を取り上げているところ(第15章「援助者は陰性反応にいかに対処すべきか?」)。やはり自傷行為は、治療者が「ええっ!」と心のなかでびっくりしたり、「私のやり方のせいなのか・・・」と自責したり、傷を見て嫌な気持ちになるという反応が起こりやすいものです。これにどう対処するかということはとても大切なことです。
 さらに気になるのは、第5章の「自傷行為の生物−心理−社会学的モデル」、第6章「自傷治療における初回面接の心得」、第7章「認知と行動のアセスメント」、第9章「自傷に代わるスキルのトレーニング」、第16章「自傷の伝染」などなど・・・かゆいところに手の届く実践的かつエビデンスの紹介ももりこんだ非常によい内容です。
 おすすめです。