きれいな「常識」ではくくれない男女の関係、アルコール依存、性犯罪


ばかもの

ばかもの

変わった関係だけれども普通の男女の話かなと思って読んでいたら(そして居間では読みにくい性描写だなとおもって読んでいたら)、アルコール依存の話になった。依存じゃないよ普通にお酒飲んでいるだけだよと思っていたらするっと。依存が形成されてしまうと、今度は断酒しようとすることがなによりも苦痛を生み出す行為になって、毎日自分を嫌悪し、憎み、自分に失望し、そのあまりの苦しみに飲酒せずにはいられない。かといってその苦しみが描かれた小説ではなく、原因や立ち直る過程が描かれた小説でもない。「もしかしたら愛するってこういうことかな」とふと納得させられそうになる男女の姿が描かれている。この『ばかもの』は、『さよなら渓谷』と同様に、「愛って、こういうキレイじゃない気持ちで深くつながる男女の間にあるもののことなんかな〜」とあやうく悟りそうになる小説である。



さよなら渓谷

さよなら渓谷

自分の都合で子どもを殺した母親、の、隣に住む男女。
理解しがたいようでいてすごくリアルなようでいて、あるいはありえないくらいの理想を描いたファンタジーのようでいて、そのどちらにもくくれない、それが「現実」かもしれない。心理臨床をしていてよく思う。この吉田修一の小説を読んでいてそのことを考えた。


別の部分では、性犯罪の加害男性が男性社会のなかで事件とセットで許され受け入れられていくことに苦しむその後の人生と、被害女性がどこまでも自分自身を許せずに、誰にも自分を許していいといってもらえずに苦しむ人生は、直前までおなじようにはしゃいでいても加害者と被害者の性が決して入れ替わることのない、それぞれの性のそれぞれの弱さを考えさせられた。



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しかし、私は土曜日になぜこのようなラインナップで読書しているのだ。
たぶん犯罪小説というかサイコ・サスペンス『スリーピング・ドール』を読んだために、次にファンタジーを読む気にもなれず、図書館からごっそり借りてつんである本の中からこの2冊をチョイスしてしまったのだろう。そしてこんな考察をして夜更かししているあたりが・・・ああ・・・なんというか・・・自分は自分によくあった職業選択をしたのだなって・・・(臨床心理士的ポジティブ・リフレイム−自分をあたたかく受け止めよう−