夏休みの夕暮れ

夏休みというのは、何歳になってもいいものです。
空の色も空気も虫の声も、何となく全て「いやぁ、のんびりゆっくりでいいんじゃない?だってほら、夏休みだし」と伝えてくれているような気がします。
うん。もちろん気のせいだけど☆
自分の心の声だけど☆


「人生の夏休み」も必要なんだなあと
常勤で、土曜日が一番混むから休み禁止で、盆休みは2日半・正月休みは3日間という、ひどく忙しくて新患ばかり来るクリニックで長く仕事をして・・・思いました。


 自分のペースに合わない仕事の仕方を続けていると、やはり質が落ちてしまうし、仕事中に「BEST」に近い状態の自分を保ちづらくなるんですね。
 それは、自分自身の社会人としての未熟さなのか、心理職としての自分の専門性を保つためのシステムの見立て・調整力が足りないせいなのか、組織に属するものとしての上司との関係調節能力が未熟だったせいか・・・といろいろと反省したり悩んだり落ち込んだりしました。

 心理職以外の友達に相談して、「え?それって上司最悪じゃない?」と言われたりして「えっ?あ、そ、そう?」とびっくり、ということもあります。
 でもやはり「心理力とは関係ないのかな・・・いや、やはり私のシステムの見立て力とアプローチがうまかったら・・・」としょーもなく反省してみたり、「もっと自分を客観視してコントロールできなくては・・・修行がたりないわ・・・」と奮起してみたり。


 まったくどうでもいい(かもしれない)一般的な悩みでも、自分の「心理力」とからめてなんやかやと反省して考え込んでしまうのが、心理職の職業病じゃないかと思ったりします。そんなところで「心理力」とからめて反省しなくてもいいのに・・・というところで。恋愛でも、家族とのよくあるけんかでも、私の講義中に寝ている学生を見つけて「むかっ!」ときたときでも・・・
 日々のどんな些細なことにでも、スポーツや芸術や何かの道を究めるのと同じように、成長や気づきのヒントはあるものですし、もちろん大事なことなんです。
 それでも、いつもそんなことをしていたら、くたくたです。
 私たちには、アホになる瞬間がたくさん必要なのです。あるいは何も考えずに率直にものを言えたり、行動できる場所や時間が。


 もうひとつ、同業者の友人とともに発見した職業病があります。それは「仕事以外で、初対面の人間と会うと、いろいろ考えすぎて疲れる」ということです。
 仕事ではないのに、そんなこと考えなくていいのに、ちょっとした発言や表情、態度などから、つい査定やら見立てやらを脳のどこかが始めてしまう・・・ときもあったりして、初対面の人と話すとなんとなく、あるいはぐったり疲れるという心理士は多いのではないでしょうか?


 それは臨床経験を重ねるごとに増悪(あるいは上達)しているように思うのですが、もしかしたらまだ未熟だからかな?もうちょっと越えたら、さらにそれも自分の能力としてコントロールできるようになるのでしょうか・・・。
 こんなふうに「自分でコントロールできる対人察知能力」として書いてみると、なんだか超能力みたいだったり(サイコメトラー的な・・・)、合コンでよく言われてしまう「えーじゃあ僕の考えていることわかっちゃうの?怖いなあ」という寒く辛いコメントで指し示される現象のようにも思われます。でも、もちろん違います。

 
 それはたぶん、バイオリニストが左の薬指の知覚や運動に関する脳の部位の活動性が他の人より高いというように、ある種の脳の使い方の癖なのではないかな・・・と私は思っています。特別なことでもなんでもなくて、誰でも同じような脳の使い方を毎日毎日していれば、その能力や活動がうまくなったり敏感になったりします。そういうことなのではないでしょうか。それが必要としないときに出てしまうと、「職業病」として、本人が迷惑をこうむるものになってしまうのですね。


 
 夏休みからすっかり話がそれてしまいました・・・。そしてまとまらない話になりました。

 つまり、夏休みは人間にとって非常に必要なものなんですね。どんな遊びも勉強も仕事も、同じような脳の活動を続けると、疲れがたまってしまいますよね。そういうときは、やはり夏休みがあると人生の幸せを味わうことができます。
 でも休みばかりでもやはり疲れがたまる・・・。人間というのはなかなかよくできた生物ですね。