海のように波のように


カウンセリングは波乗りに似ている。
大きな波があり、小さな波がある。
その波に飲まれて、方向性を見失ってしまうこともある。翻弄されて、どこから波が覆いかぶさってくるのか、次はどんな波なのか、そもそもどんな海なのか、さっぱりわからなくなることもある。強い波に流されてしまうこともある。漂流してしまうこともある。


だんだんうまくなると、のりこなすこともできるようになる。どこからどんな波が来るか予想して、のまれることなくふわっとのりこえる。大きな波が来ても、目は遠くの行く先と、すぐ前の波の両方を見ている。波の特性をつかんで、抗うのでもなく戦うのでもなく、波にのる。そしてすこしずつ「心理的成長」という、行く先へ向かって進んでいく。


ここでいう波とは、クライエントの感情や症状の波でもあり、コミュニケーションのパターンでもあり、対人関係の持ちようの癖でもあり、転移逆転移関係の荒波でもある。治療者の自己愛でもあり、面接の手ごたえでもあり、クライエントの周辺に起こる偶発的な出来事でもある。


初心者はいつもそうだが、かなり経験のあるカウンセラーでも、面接を開始したばかりのクライエントとの間では、波が読めなくて溺れそうになる。苦しくて、もがいて、波に何度ものまれて、沈みそうになる。(あるいは、初心者はのまれていることにも、気づかないまま、おたおた波にもまれているうちに、面接が終わってしまう。)


あるとき、ふっと波が見えるようになる。そうすると、海はもはや、自分を沈めようとする恐ろしい怪物ではなくなる。体を立て直し、舳先をきっと行く先に据えて、明るい気持ちで漕ぎ出すことができる。真っ黒な雨雲が、さあっと晴れるかのようなこの瞬間は、けっこう爽快だ。


今日はそんな晴れ間があった。
クライエントとともに漕ぎ出し、今ここでできる限りでしっかりと波を読み、行く先に向けてそっと一歩、心理的成長という方向へのガイドを務められたように思う。
よかったな。