読書欲求の高波と谷間


2月と3月は途切れていた読書欲の高波がふたたびやってきた!!


まあ、極めて個人的な話なんだけど、日記だし。


そう、読書の波というか猛烈な欲求というのは3ヶ月周期くらいでやってくるような気がします。その周期の間は、読んでも読んでも尽きることのない活字欲求の泉。こころなしかあたりも多い。そしてまた勢いづいて次の本に猛進する。読むべき素敵な本があると人生はやはり楽しい。


読書欲の谷間というのは恐ろしく荒廃した不毛の大地であり、これはもう苦しくてたまらないものである。読んでも集中できず、何を読んでもくそつまんない。あるいはこれは“うつ”のようなものかもしれないけれど、もう新聞さえつまらない。図書館では、何を借りてもぴんと来ないし、だんだんと借りる気すら薄れていく。高波の間は3ヶ所の図書館を駆使してもものたりないというくらいなのに、読書欲の枯渇した谷間においては、とうとうどの図書館からも借りないということになって、空っぽの本バッグがぽつんとベッドの横に置かれている。見捨てられたどうぶつのようになって、次第にクローゼットの中に押しやられる。ため息をつきながら、読まないまま放置されている文庫を引き出してみたり、これははずれないという村上春樹を手に取るけれど、やっぱり集中力も読書欲も続かないのである。またため息。


どうやったら谷間から抜け出せるかというと・・・


1.長寿マンガを一気に読んで、活字の勢いを取り戻す。今回はコレイタズラなKiss 1 (集英社文庫(コミック版))
(なんとなく自分を投影しながら・・・そう・・・愛することと素直になることが大事なんだね。オトナになって怖がってそういう大事なことを避けちゃあいけないね。)

2.「あたり」本に出会う。今回はこの本だったような。だりや荘

3.時期を待つ。

4.図書館でリクエストして、新しい本を購入してもらう。税金を払っているんだけど、司書さんのを勝手に感じて感謝し、よし読むぞというあたたかい気持ちになる。



まあとにかく、そんな感じで読書の神様が光臨したら、もうじゃんじゃか読んで至福のひとときを過ごすわけです。


今日読んだ本の出だしのように。

「 わたしは読む。病気のようなものだ。手当たりしだい、目にとまるものは何でも読む。新聞、教科書、ポスター、道端で見つけた紙切れ、料理のレシピ、子供向けの本。印刷されているものは何でも読む。 」P7

文盲 アゴタ・クリストフ自伝

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