ボーダーライン心性、侵食される内省 「何故私という世界に生きないのか」


金原ひとみはボーダーライン心性の描写が素晴らしくうまい。すごい。そう感じるのは私だけではないだろう。その圧倒的に隅々まで意識の行き届いた内省は、主人公とともに読者を引きずり込み、かきまわし、侵食する。その筆力と描写力は、書き散らされるB的ブログにあふれる言葉とは異なり、文学としての枠に収束する力量を持つ。


オートフィクション

オートフィクション


 ずっとずっと、一緒にいたいと思ってた。だから出合った頃付き合ってた男とも別れたし、元彼や男友達とも絶縁して、彼だけを見てきた。彼だけが人間だと思い込んで生きてきた。実際にそうだった。私の言語が通じる人は、彼だけだった。私も友達も家族も仕事相手も皆日本人で、皆日本語を喋っているというのに、私は誰とも話が通じた事などなかった。誰と話していてもすれ違っていたし、わだかまりは膨らみ続けたし、諍いばかりだった。私の言語能力が劣っているのかもしれないし、私の理解力が劣っているのかもしれないが、どちらにしろ私は誰とも分かり合えない。そう思い込んでいた。でも彼だけは違った。彼だけは私の言葉を正確に捉えてくれて、話せば話すほどそれまでに感じたことのないシンクロ感を得る事ができた。ああ私はやっと同じ生き物に出会えた。最後の生き残りとして一匹で生きてきた天然記念物が、初めて同じ種類の動物に出会えたのだ。もう彼と一緒にいる事しか考えられなかった。だから当然の如く結婚もしたし、身も心も全てを捧げる覚悟をした。確かに私は、ずっと一緒にいたい片時も離れないでなどとうざい女のような事を言っていたかもしれない。でもそれは、私の愛の証、そして彼以外に誰も愛せない証、そして私が彼しか関われない証でもあった。

金原ひとみ:「22nd winter」,『オートフィクション』,集英社,2006, pp15-16.

「ただいま」
 再び言ったけれど、返事はなかった。気まぐれな奴だ。スミス・スミスは何かを言われたら返事をするという、いわゆるキャッチボールコミュニケーション能力を持っていない。それはつまり、私が投げても投げても投げても投げても、避けて避けて避けて避けて部屋に籠もってしまうシンと同じようなものだ。何故私のボールを受け止めないのか。甚だ疑問だ。いや、疑問などではない。私は見ないふりをしているだけだ。本当のところは分かっている。シンには私のボールを受け止める度量がない。あるいは、受け止める気がない。それだけの事だ。そして私は、投げたボールを男に受け止めてもらえない寂しさを受け止める力がないから、それを無視し、何故私のボールを受け止めないのかと不思議がってみせているだけだ。ばかばかしい。どうでも良い事だ……。と、こうしてどうでも良くない事をどうでも良い事と思い込むための努力を重ねている内に、私はどんどんと、バランスの悪い女になってしまったように思う。

金原ひとみ:「22nd winter」,『オートフィクション』,集英社,2006,pp46.


 すべての女性に潜むボーダーライン心性に関心を持つ人は必読の書。

 
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