カリフォルニアをめぐる冒険その4かな?

海岸の十字架



今日はアメリカではマザーズ・ディです。


朝のお散歩で、日曜日なのでビーチ沿いの歩道に沿ってずっと市場のようなものが並んでいます。絵とか写真とか工芸品みたいなのとか。
ウォーフまでいくと、イラクでの戦争で亡くなった兵士達や、トラウマで自殺した元兵士達を悼む十字架が並べられていました。


「戦争はこうして、遠くで起こっていても確実に誰かの息子を殺している。すべての母親が“戦争はいけない”と子ども達に伝えていこう」と立ち上がったのがマザーズ・デイの始まりだそうです。


見渡す限りの十字架は、観光客の胸を締め付けます。
急に身近なものに思えて、ひとりひとりの失われた人のことを思って、涙がにじんでくるような光景でした。


そのあと、どうも涙もろくなってしまって、友達とクリフのある広い遠浅の砂浜を散歩して、おいしいシーフードを食べて、「See Food!!」って言いながら口を開けるんだよーとかあほなことを教えてもらったりしていて、なんだか久しぶりにすごくすごく楽しい時間を過ごしていて、友達の2人が自分の街に帰らなくてはいけない時間になったら、くすんくすんと泣いてしまいました。それを見て友達もくすんともらい泣きをして、ぎゅーっと抱きしめあって、「we love you!」と叫びあいながら友達の車を見送りました。


なんだか日本では、言葉にしないことがいっぱいあるなあと思いました。


向こうの友達はけっこうよく口にするんですね。
「会えてよかったねー」「すごく楽しい時間だったね」「向こうに帰ったらまたすぐ会いたくなるよー。寂しくなるよー」「あなたがきてくれてほんとうによかったー」とかたくさん。
それでなんだか、ぎゅーっと抱きしめあって相手の体や体温を感じあって、ちゅっとほっぺたにキスをしたりして、「大好き〜」という気持ちをあふれさせあうところが、素晴らしいなと思いました。日本でももっとこうしたらいいのかな〜。


そういえば私が臨床心理士を志したのは、アメリカにいるときなのでした。
十数年前、アメリカに1年間留学していて、こんなふうな触れ合いがたくさんあって、「あー人間が好きだなー」って思って、そして知的障害の子どものキャンプに行って、そこでもすごく楽しくて話をするのも聞くのも楽しくて、そして相手の気持ちにそって話を聞くことで、なにか「会話の手ごたえ」みたいなのを感じて、それでセラピストになろう!!と心に決めたのでした。


日本でもカウンセリング中には、クライエントの力のすばらしさにじわっと感動することもあるけど、ここまで日常的にこころにタッチするようなやり取りは少ないと思います。
もっとこういう会話がたくさんできたらいいなと思いました。


そういえばこちらのソーシャルワークやカウンセリングにおいて難しいのは「文化の壁」だということを聞きました。アルコール依存や薬物依存などいろいろな問題をかかえるなかには、移民の子どもが多いし、養子も多い。そしてその養子縁組の子どもと親の文化的背景が異なることも多いんだそうです。そのため、親に対する心理教育では、まず文化の違いについて話すところからはじめるというスケールの大きさ。もちろん言葉の壁もある。「英語しかできないとなかなか難しい」とのこと。日本では、文化も言葉もある程度標準化されているので、それはとても恵まれていることなんだなと感じました。まだまだ日本は幸せな、甘えることが許された国なのですね。戦争にも行かなくていいし。


↓参考文献・必読図書

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]