クライエントの心の緊急事態、母親論


ふぅ。
疲れて帰ってきました。今日は心療内科で勤務です。


私のクライエントに「心の緊急事態」が起こってしまって、いつもより多めの力で(130%くらい?)全身全霊を注いで、真剣勝負してきました。


こんなとき、本来はお母さんや家族の出番なのですが、悲しいことに心療内科を利用される方の中では、そのお母さんの言葉が心の緊急事態の引き金であることもあります。


「お母さんの言葉」というのは、子どもにとって恐ろしいほどの威力を持っています。

たったひとことで、生まれてきた意味を悟らせることも出来る。

たったひとことで、魂を殺すことも出来る。

たったひとことで、この世の幸せと愛をたっぷり感じさせることが出来る。

たったひとことで、死んだ方がいいと思わせることが出来る。


こんなにすごい影響力を持つものは、人間界で他にないのではないでしょうか。人はその言葉を心底求め、心底恐れます。


けれど、お母さんだって一人の人間です。弱く、傷つきやすく、社会で無力感を感じ、家庭で孤独を感じている一人の女性です。そんな女性が、自分の子どもに対したとき、「常にお母さんとしての言動を期待される」という苦しみを感じます。


お母さんとしての言動とは何か?「常識的なあたたかいよいお母さん像」とは何でしょうか?
私の考えとしては、以下の3点でまとめられます。

  1. 無償の愛が子どもに常に向けられて、言語的&非言語的に表現されていること
  2. 子どもへの無条件の肯定的関心が常にあること
  3. 自分よりも子どもの幸せを常に考えて言動を選ぶこと


子どもはこれを母親に期待し、現実との差異をはかり、その隔たりに傷つくのです。


自分を愛していないのではないか、自分は必要とされていないのではないか、自分は生まれてくるべきではなかったのではないか、自分には生きている価値などないのではないか。


なぜなら、自分の本当の母親が1.2.3.にあてはまらない言葉を言ったから。つまり、それは私を愛していないということだから。母親に否定されるのなら、私はこの世界の全ての人に否定され、受け入れられないだろうから。


母親というのは本当に大変な仕事です。自分の血を分けた子どもに甘えて、仕事のストレスをぶつけたくなるときもある。自分の子どもなのにこちらの事情や言い分を決してわかってくれず、思い通りにいかなくて激しい怒りを感じることもある。けれどそれを治療者やホテルマン以上にコントロールしなくてはならないのです。休むべき家庭で、多くの時間を。


・・・それは、不可能のように思える仕事です。勇気のいる大変な仕事です。けれど、子どもを持ったからには、子どもの前では「母親」の仮面を被り続けなくてはならないのではないか。それが親としての愛と責任なのではないか。このごろそう強く思います。


それが並大抵の仕事ではないからこそ、夫を中心とした家族や様々な専門職の理解と支えが不可欠なのです。それが得られなかった母親は、母親としての仕事に全力を発揮することができず、ときとして感受性の強い子どもがそれを過敏にキャッチしてしまう。そんなとき、それを臨床心理士がサポートすることがあるのだと思います。


症状を出せる子どもは、力のある人です。
苦しみを受け止め、何か違うと感じ、どうにかしなくてはと全力でもがく力を持った人です。そんな子どもたちに日々接しながら、その力をどうにかしてうまく発揮させてあげたいと強く願っています。そのためにはどうしたらいいのか、どの瞬間も全力で真剣に考えています。そんな正解のない仕事ですが、コツコツがんばっている今日この頃です。