臨床心理士試験


後輩から聞きました。
今年の試験は難しかったようですね!
私が受けた年も平均点がほぼ最低という難しい問題続出の年でした。今年もどうやら、問題の転換期に当たったようですね。問題の傾向ががらりとかわって、一問一答式の組み合わせだったのが、長文問題みたいになったようですね。


たぶん・・・国家資格化を念頭においていたからでしょうか?


論述問題は「イニシャルケースを振り返り、その経験からあなたが臨床心理士として資する(役立てる・助けとする−角川必携国語辞典)ものについて論ぜよ」みたいな感じだったようです。「資する」って日本語が難しいですよね。でも、臨床心理士の資格試験としては、いい論述問題ではないでしょうか。本当に大事なことがいろいろと述べられそうですよね。


うーん、私だったらどう書いたかな・・・。まとまりきらないかもしれないですね。イニシャルケースというのは忘れがたいものです。そして何度も何度も大切なことを繰り返し教えてくれる師でもあります。


1.「できない」ことを知ったこと
 
 大学院でばっちり学んで、本をたくさん読んでも、何にもできないんだ、という無知の知がこの仕事をする上で何より大切である。人はひとりひとり違う。ひとりの人が生きた歴史の重みがあり、家族の重みがあり、苦しみの重みがあって、その前では本人と同じように、どのように優れた心理士であっても無知で無力なのだという謙虚さが大前提である。


2.「わからない」ことを知ったこと

 そのうえで、本人の「わからなさ」に丁寧によりそっていくこと。こちらの「わからなさ」があるからこそ、目の前の人の歴史と苦しみを、世界で唯一つのものとして、心理療法の中で、心のたびとしてめぐっていくことができる。「わかること」はありえないという姿勢が、ひとりの人に対する生き方の尊敬の念を根底に抱かせる。それがなければ、どのような専門的技術も言葉のテクニックもコンサルテーション技法も何もかも、机上の空論となり、目の前の人を正しく見ることが出来ず、援助することはかなわないであろう。


3.それでも全力で援助しようとするとき、そこに人対人の出会いがあり、動きがあり、関わりの歴史ができるということを知ったこと

 もちろん経験も研鑽も知識もテクニックも必要である。なくてはならないものである。しかし、それが未熟なものであっても、私に心を開いて語ってくれるクライエントが目の前にいた。つたないながらも必死で全力で援助しようとする新米カウンセラーがいた。そこにはやはり、そこでしか語られないことがあり、出会いがあって、新米カウンセラーの成しうるレベルでの治療的関わりがあったのである。それは人と人との関係というものが純粋にもっている力であり、人が人に対して持つ純粋な援助欲求の持つ力である。そのような人と人の関係を知った上で、理論的知識と技法の習熟と自己の内面の研鑽を絶えず行っていくことが、心理臨床の道をあるんでいく者の定石なのではないだろうか。


4.逆転移分析、心の中と外スーパーヴィジョンの必要性

 クライエントと接していて、「普通に」沸き起こってくる感情を意識していなくてはならない。イニシャルケースでは、「有能だと思われたい」「初心者だと思われてばかにされるにではないか」などの不安と焦りと恐れが自分の心にわきあがり、それが自分ではきちんと対処できていると思っていてもカウンセリングの中に割り込んでくる。それに自分で気づけるものもあれば、自己愛によって全く気づけないものもある。
 スーパーヴァイズしてもらうことによって、自分の死角の存在に気づく、ということはイニシャルケースで義務として行うべきことと言えるのではないだろうか。どのケースにおいても、カウンセラーが人間である以上、自分の感情がまぎれこんでこないことはありえない。それに気づくための内なるテクニックと、外の目を持つというテクニックが常に必要である。


5.専門職の仲間の存在の大切さ

6.自己管理の大切さ

7・倫理問題

 

などなど・・・書き出したらきりがないような論述問題ですね。臨床心理士として、責任を持って仕事をしている方なら、誰でも1冊ずつ書けるようなテーマですよね。「自分自身」としっかり向き合った臨床観が語られると同時に、専門職としての基礎的なところもきっちりと論ずることの出来る大切なテーマであると思います。


皆さんもぜひ、この場でよかったら遠慮なく語ってみてくださいね。