「よくなる」とは?:今ここにある気持ち
久しぶりに9月あたりの日記を読みなおしたら、とても明るかった。
んん〜最近やはり、かなり、知性化したり合理化したり、頭の中でもぞもぞごそごそやりすぎていて、煮詰まりすぎたみたいです。
ちょっと楽しい活動をいろいろしたら、やっと頭のクモが晴れてきたような気がします。無理やりでも、誰かと一緒になにか楽しいことをいろいろやるって大事ですね。
・・・過去とか、原因とか、親子関係とか、将来とか、やるべきこととか、そういうんじゃなくって、
今どんな気持ちなのか
- 実は今、何が悲しいのか
- 実は今、何に怒っているのか
- 実は今、何を恐れているのか
- 実は今、どのくらい寂しいのか
ということが、どんなときにも、自分にも、目の前のクライエントにとっても、すごくすごく大切なことで、もしかしたら「よくなる」ということは、「こういうことを自分の中に押さえ込んでしまうのではなく開放すること」なのかもしれないなと思います。自分で気づいてもいいし、誰かに聞いて受け止めてもらってもいい、相手に伝えてもいい。
それさえできれば、自分で「よくなる」ために何かを選んだり、進んだり、あるいはその前段階として過剰な力や防衛が抜けたりするのかなあ。
とにかく、今この目の前にあるもの抜きにして、「よくなる」ことは誰にもあり得ないのです。
私も、今ここにある問題と気持ちから目をそらして、幸せになれるわけではないし、心理士として腕が磨かれるわけはないんですね。「いつか」よくなるわけではないのですから。いつかは今の延長線上なんですよね。
よく言われていることなのかもしれません。
けれど私にとっては、ここ最近のもやもやがあって、日々の臨床があって、そして今日初めて「あっ」となにかを悟ることができたような気がします。
例えば、保育園児くらいの子どもでは抽象概念が未発達なので、「明日」とか「未来」「将来」「いつか」は存在しないんですね。今、ここに無いのならば「無い」のです。
成長するにつれて、「あとで」いいことがあるからと我慢できるようになっていくわけなのですが、ひょっとするとそれはとても「周囲にとって都合がいいこと」なのでしょうね。何かを失っていくというのは、そういうことなのかな・・・。
なんだかまとまらないので、また今度書いてみます。
よかったらご意見など下さいね。