つじつま合わせの弊害:抑圧について


1月は、自分の内面で行う仕事が多かったので、なんだかまとまりのない日記になっていますね。軽すぎたり重過ぎたり、中身がなかったり暗かったり…。自分自身の心の動きのフィードバック機能としてみても、ブログはなかなかいいものです。


自分の心から逃げずに、深く深く向き合うところで初めて、自分が目を背けていたものが見えます。


あまりにも見たくないので、深いところに閉じ込めてしまうので、その部分をつくろってやっていくと、つじつまあわせの必要が出てきます。つじつまあわせをしすぎると、今度は変なところに力が入って、変なフォームで毎日を送ってしまいます。どこかで手を抜いたり、どこかが過剰になったり。


そうして、うっすらとした苦しみと疲労が積もっていきます。人はそれに気がつきません。なんとなく不調だな、気持ちが晴れないなという程度に感じながら、毎日を送ることができるのです。それが「抑圧」という防衛機能の利点です。


けれど、それはやはり時限爆弾なのです。埋めてもやっぱりコチコチと時は刻まれます。その間も、得体の知れない苦痛を感じ続けています。


そしていつしか、どかーんと爆発するときがやってきます。そのとき初めて人はそれに気づいて驚きます。「なんだこれは。いつからどうして、こんなものがここに埋まっていたんだ」と。


自分で埋めたのにね・・・。


大きな穴が開いた後、人は苦しみます。それでも、時限爆弾を埋めたことを思い出す方が辛いのです・・・。そして、「誰かの悪意によって大きな爆弾の被害にあった」と嘆き続けるのです。その方が自分の心を守れるんですね。


心というのは、弱くて愚かなものです。


本当に誰かを愛して、そして愛されていて、感謝しあえる関係があったら、そんな愚かなことをしなくて済むのでしょうか。あっちに爆弾を埋め、こっちに地雷を生め、それをうっすらおぼえているので、避け続けて遠回りして、とてもとても苦しい生き方をし続けている子どもたちは、どうしたらリラックスして生きられるのでしょう。


そんな弱くて愚かな心も愛おしいなと思います。