2.共感とはなにか


共感的理解 empathic understanding

 
来談者中心療法において重視されるカウンセラーの態度。しかしカウンセラーの共感的な関わりは来談者中心療法だけの専売特許ではなく、立場を超えて求められる根本的な姿勢であると言える。ロジャースはそれを、「クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの“あたかも……のように”(“as if”)という性質を失わないこと」(C. R. Rogers, 1957)と定義した。つまり、クライエントの世界をその内的思考の枠組みから受け取り、それを共有しながらも、決して同一化や感情的な癒着になってはならないということである。原語がシンパシー(sympathy:同情)でなく、エンパシー(empathy:感情移入とも訳される)であることには注意が必要である。共感的理解には“打てば響く”(國分康孝)といった感覚的側面と同時に、クライエントの世界を正確に共有し、言語化・象徴化していくという認知的な側面も含まれる。


末武康弘 (國分康孝 編 『カウンセリング辞典』誠信書房 p131-132)

「共感的に受容的に接する」「子供の気持ちに共感する。そしてありのままを受容する」「患者さんの痛みを共感し受容する」・・・


あほかぁぁ〜〜!!!かんたんにできるかそんなこと〜〜〜〜!!!


看護学校でも、保育の専門学校でも、やたらめったら「共感」と「受容」が出てきます。どうやら、他の科目の先生や教科書がやたらめったら使っているようです・・・。もうイヤ・・・。学校側に一度注意すべきだろうか・・・?おせっかいかな・・・。


この「共感」というものは何よりも難しいものです。誰でも「共感的になろう」とすればできるものではないのです。たとえば、心理職についたものが、生涯をかけて追求し研鑽し研ぎ澄ませて行くものが、この「共感」と「受容」といっても過言ではありません。


なのに、看護や保育の専門学校、あるいはもしかしたら民間の「カウンセラー養成学校」みたいなところでは、この「共感」が全く誤解されたまま使われています。


誤解例
1.「同情」・・・ううう
2.「思いやり」・・・んむー
3.「やさしく聞くこと」・・・うん、まあ、あー・・・
4.「スキンシップ」・・・んがっ!?えっと・・・
5.「笑顔とやさしい受け答え」・・・こまったな・・・


そうではないことを教え、「共感とは何か」について考える機会を与え、真の共感的姿勢を少しでも訓練して身につけられるようにするには、最低半年かかります。本当は1年でも短いのです。


援助職につこうとする人間には必ず思い込みがあります。


「やさしくするのはいいことだ」


ってヤツです。でもそれは、自分という視点だけから見た「やさしさ」でしかないということをまずは学ばなくてはいけません。次に、他人は異なった視点を持つということを。そして、その視点さえ、そのときの背景と文脈と関係性(生得的要因、素質、性格、家族的背景、経済的環境、社会的環境、医学的要因、生育歴、ここ最近の出来事、ここ最近の周囲の人との関係性、あなたとの今の関係性などなど…)によってすっかり変わってくることを。


それだけいっぱい考えられるようになった時点で、はじめて自分だけの視点から抜け出すことが可能になります。そして、「どうすることが今この人にとって“よりよい”のかな」と、すごく一生懸命、思いつくかぎりのありとあらゆる角度から考えようとすること。それが共感と受容につながるはじめの第1歩なのだと私は思います。


ううん…なかなか難しいですね。
他の心理士さんのブログでも「共感」についてときどき議論していますね。わたしももう少し時間をかけて考えてみたいと思います。
みなさんもよかったら、自分なりの「共感論」をコメントしてね!


よろピク☆