山中先生の特別講演より メモ

心理療法は人間の根源的な変容に関わる」


どう生きるか、どう死ぬか、どのようにあるべきか・・・


そういう人間としての根源的な問を問うという深みにどう添えるかというのが、心理療法の課題である。


目的を「治す」ことにおいていては、そのような深みに添うことは難しい。


患者さんを本当に尊重できるか、尊重しともにあるという態度を貫けるか、例えば患者さんの目がキラリと輝くような瞬間をつくるよう援助し、その瞬間を以下に濃密にともに過ごせるか、


心理療法家として、何を行うのかというターゲットを明確にし、患者さんの尊厳をいかに大切にしていきながら、自分なりの方法論で自信を持ってセラピーを行っていくか、


例えば高齢者病棟では、じっと隣で過ごし、目がキラリと輝かれるような活動をともにし(患者さんの言葉を筆で書き留める、歌をうたう)、死をどう受け入れていかれるのかという過程をともに過ごす。


統合失調症であれば、あるいは境界性人格障害であれば、そのような症状なり生きる形に立ち向う勇気を持たれるまでともにいる。


特に境界性人格障害では、自分の怒りをまともに受け入れてもらったことのない方が多く、そのような方の怒りをじっと受け入れ、受け止めることで初めて変容することが可能になる。その病は個人だけのものではなく、2代3代に渡る病であり、文化の病である。そのような深みにも、心理士は目を向けていかなくてはならない。


心理療法をひとつの「バイパス」として、人間としての根源的な変容の深みに寄り添って行く・・・それが、私たちが仕事として行っていることなのである。


実際のご講演では、さらに広い世界にわたってのお話をいただきました。熱い志のこもった内容です。多くの刺激を受けました。


春休みで、仕事の疲労が積もり積もっていたのですが、なんだか新たなエネルギーを与えられたようです。この春休みは、ちょっとのんびりした気持ちで、心理療法の本をいろいろ読んでみようかな。それもまた、リフレッシュ法なんですよね。


そうですね・・・なんとなくなんですが、こんな春はユング派の本が合うような気もします。コフートとか。なんでかな?冬は精神分析派ですよね?・・・ってそんなイメージを持っているのは私だけかしら?


なぜか春っぽい本

個性化とナルシシズム―ユングとコフートの自己の心理学

個性化とナルシシズム―ユングとコフートの自己の心理学


なぜか冬っぽい本

精神分析における言葉の活用

精神分析における言葉の活用


そういえば、成田先生と山中先生は同じ中学の同級生なんですね!山中先生がいちばん小さくて、成田先生がいちばん大きくて、列のいちばん前と一番後ろだったそうです。
そして山中先生はかなり孫ラブ☆な好々爺さんですね。