終末のフール:心理職は『鋼鉄のウール』しか読むべきではないね・・・


終末のフール

終末のフール


伊坂幸太郎の新刊が発売されていることに昨日気づいてダッシュしました!
「3年後に小惑星が地球に激突する。地球が滅びる」という設定のもとに仙台で暮らす人々の姿を描いた8つのお話です。


醜い姿、汚い姿、美しい姿・・・いろいろです。その醜い姿のために死んでしまった人も多く、そのために傷ついてすごす残された人々の残された命が息苦しい。読後感としては・・・やはり息苦しい。それは「3年後に地球が滅びる」となったら、自分の中にもある、このような醜さや情けなさやかっこ悪さが表にあらわれてしまうのだろうなという嫌悪感かもしれない。


このへんの嫌なところばかり目に付くのは、心理職だからなんだろうか・・・とふと思う。


タイトルにもなっている『終末のフール』。父親の自己嫌悪が息子に投影され、「馬鹿」「失敗作」と何度もなじられて、息子は25歳で自殺する。そのことで父親を恨み続ける娘、言葉に出せずともやはり許せずにいる母親、父親のやり取り。



・・・ほら、もうここで、心理職のみなさんは息苦しくなってきたり、頭のどこかがチャカチャカ・・・と動き始めたでしょう?ケースが思い浮かんだりして、小説として「楽しく」読むのは困難でしょう?



こんなケースは、「10年が過ぎて、世界があと3年で滅びると言ったって、3人集まって笑える日が来るなんてことは容易ではない」と考えてしまう。押入れから、息子のほほえましい遺品が出てきて、家族は思わず表情を緩め、娘は初めて心情を吐露するのだが、その後「許すよ」という言葉が出てくる・・・とは想像もできない。


もしかしたら、病院に来ないような人々の中には、自分たちで苦しみと恨みを消化し、このように健全な関係性の軌道に戻ることが可能になるのかもしれないが、少なくとも心理職が関わりを求められるケースにおいて、家族員のひとりが自殺までしているという家族システムの中で、このようにさわやかに問題が語られ、笑顔が生まれるということは難しい。もちろん家族の健康性が発揮され、そのような軌道に戻れるように援助していくのだが、その時点に至るまでに、小説にして広辞苑的厚みになるような50過程くらいの苦しい戦いを各個人が戦い抜かなくてはならないんじゃないか・・・?


そんなことまで考えていると、どうにもこうにも苦しくて仕方がなかった。


擬似家族をつくりあげる『演劇のオール』。これも、それぞれの登場人物がここまでの過程にいたる心理的過程を考えると(両親が自分を残して服毒死、子ども夫婦と孫が自分を残して自死、母親がどこかで殺されのたれ死んで残された小さな2人の子ども・・・)、もうしんどくて仕方がない。いったいどうやってその心理的危機をのりこえて、今こうしているのか、姉の役・孫の役・彼女の役・母の役をこなしながら、彼女の自己存在の危機はどうなっているのだろうか・・・とかじゃんじゃん考えてしまって、どうにもこうにもダメだった。


かっこ悪い姿をかっこよく書くのがうまい作家だけれど、この本では私にとってはということだけれど、『鋼鉄のウール』の中にしかそういう姿はなかったように思う。『鋼鉄のウール』は世界の終わりにもボクシングジムに通って訓練し続けるボクサーが描かれている。



それから、「でもとにかく俺は、いつも、自分に問いかけるんですよ」苗場さんの答えは、シンプルだけど、それを読んだ僕は、はっとさせられた。
「問いかける?」
「俺は、俺を許すのか?って。練習の手を抜きたくなる時とか、試合で逃げたくなる時に、自分に訊くんです。『おい俺、俺は、こんな俺を許すのか?』って」

 そして、最後にインタビュアーが、「苗場君は結局、ローキックと左フックしかできないんだよね」と冗談まじりに言った時に、こう答えてもいた。「ローキックと左フックができて、それと、客を夢中にさせられれば、他に何がいるんですか」(p161-162)



「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうすんの?」
「「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ?」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかはないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?(p180)

伊坂幸太郎 『終末のフール』 集英社 2006


自分のできることをするしかない。他に何がいるんですか?


それは心理臨床の姿勢にもつながるよなあと思うと、読書の疲れとささくれがちょっとやわらいだ気がした。