自傷行為:自分も含め後輩達に伝えたいこと


自傷 リストカットを中心に 現代のエスプリNo.443

自傷 リストカットを中心に 現代のエスプリNo.443

オススメです。古典的理論から、いろいろな症状との関連性、虐待との関連、入院での治療法などなど広い範囲で網羅されています。そもそも自傷行為に焦点を絞った専門書は少ないので、これはとてもよいです。


自傷行為―実証的研究と治療指針

自傷行為―実証的研究と治療指針

  • 作者: バレント・W.ウォルシュ,ポール・M.ローゼン,松本俊彦,山口亜希子
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2005/02/25
  • メディア: 単行本
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専門的。びっしりと海外の文献やケースがもりだくさん。重い。でもこれほど専門的な自傷に関する本は他にないと思います。


さて、この自傷行為に対するカウンセラーの態度について、最近考えさせられるケース(カウンセラーのケースね)があったので、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。


あるケースです。臨床心理士として「よくないと思われる点」がたくさん見られます。どのようなところでしょう?

精神科クリニックにおいて、自傷行為を主訴として訪れたクライエントに対し、初心者の臨床心理士が初回面接をしたようです。クライエントが“なぜ自傷行為がだめなのかがわからない・・・”と言ったとき、その心理士は心の中で
「屁理屈にしか聞こえなくなった。最終的に“じゃあ、どうして心理療法なんて受けようと思ったんだろう?”って疑問まで湧いた。やめようという意思もなく、治りたいという意思も全然感じられず、自分はここで何をすべきなのかわからなくなった。治ろうとしていないのに、治すための手助けなんてできない」と感じ、さらには説教じみたことを言ってしまったようです。「自傷行為はよくないもの。あなたが治そうとしないからダメなんだ」的な。
さらにはその心理士はこう考えます。「だけど、その表現方法(自傷行為)は正当なものではないよ。だって、その方法じゃ他人に伝わらないもの。」


もしも自傷行為についても虐待についても境界例についても、なにひとつしっかりと勉強していなかったら、こう感じるのかもしれません。ある意味、「一般的」な反応なのかもしれません。もしかしたら、自傷行為に対して、カウンセラーにさえ、このように反応されているクライエントは、もしかしたら多いのかもしれません。


もしかしたら、経験が浅く、自傷行為に関する知識のないカウンセラーの「自傷に対する初期反応」とでも言えるべきものは「怒り」なのかもしれませんね。


ショックと怒り。治療者としての万能感が崩されるショック。コントロール不能さ(自傷をするクライエントをコントロールできないこと)への怒り。
自分で自分を傷つけるという行為に対する人間としての反射的な嫌悪感(映画『SAW ソウ DTSエディション [DVD]』参照)。
「理解できない」という強い思いと、「共感しなくては」「なんとかしなくては」という初心者の強迫感と焦り。

(参考文献 
ありがちな心理療法の失敗例101―もしかして、逆転移?
ころんで学ぶ心理療法―初心者のための逆転移入門
心理療法入門―初心者のためのガイド』)


だからこそ、私達は以下のような問を常に自分に問いかけていかなくてはならないのです。


  • きちんとスーパーバイスを受けていますか?自分の感情を認識できていますか?
  • 自傷行為についてはどんなふうに勉強しましたか?新しい論文と古典は?
  • 一般的に自傷行為を行ってしまうときというのはどんなときでしょう?
  • そのうえで、目の前のクライエントに対して、どれだけ「専門家」として向き合っていますか?
  • 目の前のクライエントの「環境」をどれだけ聞いたうえで、上記のようにあなたは感じたのでしょう?
  • 信頼関係は形成されましたか?そのうえで、たくさんのことを話してくれましたか?
  • 自傷行為をせざるをえないクライエントの状況はなんでしたか?それはどんなときだった?どんな環境だった?どんな気分のときだった?直前に何があった?直後に何が予定されているとき?どれくらい緊張していた?自責していた?
  • 自傷行為を行った後のクライエントの安全感を回復させましたか?どうやって?原因を聞くのではなく、損なわれた安心感と理想自我を保障できるように努めましたか?

ほとんどのクライエントは自傷行為について「やめたいけど、やめられない。やめる理由がわからない。やる必然性はいっぱいあるのに。でも、やめたい。自分でもどうしていいかわからない。自傷行為をしないと生きられない。でもよくないのはわかっている。違うものにできるのならそうしたい」と強く強く願っています。


全力で治そうとしているから、治療機関にやってきて、カウンセリングまで受けようとしたのです。治療機関に来るまで、もっともっと苦しかったはずです。ひとりではどうしていいのか、自分でもわからなくなってどうしていいのかもわからないからこそ、カウンセリングに来たはずです。
それに対して、カウンセラーが自分の葛藤や未熟さを克服し、専門的知識と技術をもって、心理療法にあたることは当然の仕事です。それが職務なのです。   


「治そうとしていない」ように見えてしまうクライエントもたくさんいます。でもそれは、その症状が、彼らの家庭環境や生活環境の中で、「ぎりぎりで生きるための手段」であることもあるからだと思います。症状が彼らを守っていることもあります。それが同時に彼らを傷つけているとしても、症状を簡単に手放せないこともあります。むしろその方が多いかもしれません。だからこそ、時間をかけて困難でも、カウンセラーが専門的知識と技術を活用して援助を行ってくれることを求めて、彼らはカウンセリングを受けるのだと思います。


「正当でない表現方法」、「他人に伝わらない方法」を取らざるを得ないからこそ、カウンセラーの専門的援助というものがあるのです。そういう方法にならざるを得なかった、そのひとの発達上の環境を理解しようと努力することなく、「自分のナマの感情」のままにクライエントに言葉をぶつけるのは、初心者だとしても許されない行為なのです。だからこそ、学部と院でがっちりと自分でも勉強をした後に、常に勉強し続けていくこととスーパーヴァイズを受けることが臨床心理士にとって必要とされるのです。


クライエントといるときはどの瞬間も自分の感情と言動について専門家としての意識を抜かないこと。その技術を高めるために、勉強し続けること。それができないならば、この仕事を続けることはできないと強く思っています。