必携の教科書

歴史の物語るところによれば、この剣は人の命を救うため以外はかつて一度も抜かれたことはなく、また抜かれ得ないのだとか。復讐や、欲や、ただ血を見たいがための果たし合いとか、もうけを目的とした戦争の際には、剣は使おうにも使えないのだという。(p56)

「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択を迫られた時には。まだ若かった頃、わしは、ある(life of being)人生とする人生(life of doing)のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。ひとつの行為がつぎの行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。ひとつの行動とつぎの行動の隙間のような、するということをやめて、ただ、あるという、それだけでいられる時間(when you may stop and simply be)、あるいは、自分とは結局のところ何者なのだろうと考える時間をね。

(p62 ゴシック部は本の中では傍点。 カッコ内は原著より引用)

「(略)今度のは、だから、どう見ても均衡を正そうというのではなくて、それを狂わそうという動きのように思われる。そんなことができる生物は、この地上には1種類しかいない。」
「人間ですか。」アレンはためしにきいてみた。
「そうだ。わしら、人間だ。」
「しかし、なぜ?」
「生きたいと思う、その願望に際限がないからだ。」
「生きたいと思うって?そう思うことは間違いではありますまいに。」
「うん、そりゃ、間違いではないさ。しかし、ただ生きたいと思うだけではなくて、さらにその上に別の力、たとえば、限りない富とか、絶対の安全とか、不死とか、そういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わるのだ。そして、もしも知識がその欲望と手を結んだら、その時こそ、邪なるものが立ちあがる。そうなると、この世の均衡はゆるぎ、破滅へと大きく傾いていくのだよ。」(p63-64)


引用文献

さいはての島へ―ゲド戦記 3

さいはての島へ―ゲド戦記 3


英文 引用文献

The Earthsea Quartet (Puffin Books) (Earthsea#1-4)

The Earthsea Quartet (Puffin Books) (Earthsea#1-4)


映画『ゲド戦記』を見て、よく分からない部分が多々あったので、改めて読んでみました。いやあ、やはりこのゲド戦記シリーズは、心理臨床の教科書のような言葉がちりばめられていますね・・・。


心の闇とか病理とか苦しみというのは、あきらめることのできない望みであり欲なのかもしれないですね。愛されたいという切実な願い、満たされえなかった心を満たしたいという欲、捨てきれない恨み、手放すことのできない思い・・・。こうなりたいのになれないという自分への憤り・・・。


その中には、当然満たされるべきだったものもあれば、ほかの人がそうそうにあきらめてしまうものもある。


考え、追い求めることをやめて、life of being=ただ在る、ただ感じ、そこにあるものを感謝して受け取るということができれば、満たされるのかもしれないけれど、それまでの過程でどうしても life of doing=苦しんでもがいて後悔して、ないものを捜し求める、そのために激しく戦うという過程も必要なものなのでしょう。


なんだか限りなく抽象的な話になりましたが、そんなことを考えさせてくれるテキストです。


ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)

ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)