影との戦い:『ゲド戦記』から−その1−


人はみんな
先が見えないのは不安。
自分に自信がなくて、困っている。


生きていけたらいい。
安心して心地よく毎日眠れたらいい。
愛されたい。好きって言ってほしい。
みんなに認められたい。すごいねって思ってほしい。
自分のことを好きだと思いたい。誇りを持って生きたい。


そして自分の影と戦っている。
自分を憎み、自分を嫌悪し、自分を憎悪する影。
他人を妬み、他人を羨み、他人を呪う影。
驕り、謗り、怠ける影。


影はどこまでも追いかけてくる。
周囲の人間のなかに入り込む。
それが影なのか、自分が大切にすべき人間なのか見失う。
自分さえも見失う。


しかし、逃げずに向き合って、とことん追いかけて、戦うことで
やがて影との戦いは終わりを告げる。

ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。今後ゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものにもはやその生を差し出すことはないだろう。

ル=グウィン作 清水真砂子訳 『影との戦い ゲド戦記Ⅰ』p269
岩波書店 1976


実は、今になって初めて

影との戦い―ゲド戦記 1

影との戦い―ゲド戦記 1

を読みました。


これから残り5冊分の幸せな時間が手つかずで残っているのはとても幸せなことです。


今になって読んだからか、臨床心理学的な本を多く読むせいか、それとも物語というものがすべてこのような性質をおっているものなのか、私はこの本を心理臨床の基礎を学ぶ本として読んでしまいました。


「…ゲド、いいか、ようく聞け。そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったかの?光に影がつきもののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛めあての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それが払う代価をまえもって知っておくのだ!」p41



…ひとつのものの姿形を変えることが、それをとりまくものの性質や名まえにどんな影響を及ぼすかを、彼はこんこんと話して聞かせた。長は、また、この術が多くの危険をはらんでいることを話し、なかでも、魔法使いが自分の姿を変える時には自らの呪文にとらえられてしまう危険を覚悟しなければならないと注意した。p86


ル=グウィン作 清水真砂子訳 『影との戦い ゲド戦記Ⅰ』
岩波書店 1976


すごくいいところがたくさんあるので、そのうちひとつずつ時間をかけて引用しつつ考えてみたいと思っています。


今回の引用の後半ですが、私は「防衛」の危険性として読みました。


まず、防衛とは何か、辞典の定義をひいてみます。

防衛 defence


 S.フロイトに由来する精神分析理論の中心概念の一つ。強い葛藤を感じたり、身体的、社会的に脅威にさらされたり、自己の存在を否定されたりというように自我が脅かされたとき、直接的な欲求の充足を求める衝動に対抗するとともに、不安の発生を防ぎ、心の安定と調和を図るためにとられる自我による無意識の調整機能を防衛という。


 また、そのためにとられる手段を防衛機制という。


 苦痛となる感情や危険な欲望を意識から締め出す抑圧、空想や病気への逃避、反社会的な欲求や感情を社会的に受け入れられる方向へと置き換える昇華など、多くの防衛機制が考えられている。

坂野雄二:中嶋義明他編『心理学辞典』有斐閣 1999 p792


つまり、嫌なことや苦しいことがあったときや、“自分が傷けられる”感じがしたときに、自分に呪文をかけて、ほんとうにやるべきことややりたいことを自分にも相手にも見えなくしてしまうんですね。そうして、不安にならないように、より傷つかないように自分を守るのです。


けれど、そうすることによってまた影も生まれるのです。相手を傷つけたり、自分のほんとうの声を心の墓場に埋めたりするからです。そうやって一時的に自分を守るために何かに変身する魔法を使うのですが、「戻れなくなる」という危険性もはらんでいます。『ハウルの動く城』でもありましたが、あまり長い間変身すると戻れなくなるのです。どちらがほんとうの自分だったかわからなくなります。『ゲド戦記』ではゲドが影から逃げるために鳥に変身するのですが、最初は影から逃げようとして怖くて必死だったのに、鳥に変身してからはそれを忘れ、飛び続けることしか考えられなくなります。


もしもゲドが鳥になったまま戻れなくなったとしたら?影からは逃れられるからそれでいいのか?ゲドは親友を失うでしょう。師を失うでしょう。自分が自分であるという誇りも、自分が社会に産み落とした影と戦うという使命も、愛しあうはずの人も。師と親友は嘆き悲しむでしょう。けれどゲドは何も感じない鳥になって自由に空を羽ばたいているかもしれません。


「防衛」するということは、きっとそういうことなのだと思います。
魔法は一時的なものとしてあるべきで、長く使い続けるとそれにとらわれて何かを失うものなのです。



・・・そんなことを考えながら『影との戦い ゲド戦記Ⅰ』を読みました。


こうやって考えることもまた、私の魔法なんだろうな・・・